シンプルな教会を目指して

Ⅰ.世界でもっとも急速に増殖している教会

壁の薄いアパートの一室に集まった十数名のクリスチャンたちが肩を寄せ合って座っています。テーブルの上に置かれたスマホからは小さな音でワーシップソングが流れ、それに合わせて、彼らは声を出さずに口パクで神様を賛美しています。人口の密集したイランの都市部の多くの場所で持たれている礼拝の一コマです。イランでは、このような集まりは重罪にあたり、秘密警察への密告を避けるために、クリスチャンたちはこのような方法で礼拝を持っているのです。

オペレーションワールドの報告によると、世界で最も急速にクリスチャン人口が増加している国がこのイランです。驚くことに、コロナ禍にも関わらず、イランの家の教会のネットワークは国境を越えて広がり続け、過去三年間で、サウジアラビア、ソマリア、リビア、クルディスタン(イラク)、パキスタン、キプロス、トルコの8カ国に拡大し、14カ国で合計750のハウスチャーチが始まったと報告されています。

彼らはどうして、危険を冒して集まろうとするのでしょう。また、なぜこのような集まりが広がって行くのでしょう。

Ⅱ.私たちに足りないもの

日本では、(信教の自由が守られており、)いつでも自由に集まって礼拝することができますし、公の場所で伝道することも許されています。防音さえしっかりしていれば、周囲を気にすることなく、大きな声で賛美することも、祈ることもできます。教会が地域の中でさまざまな活動をすることも許されていますし、資金があれば会堂を建てることもできるでしょう。このような自由が与えられているにも関わらず、なぜ、今まで福音が広がってこなかったのでしょうか。日本でも、若く成長している教会がありますが、多くの教会では高齢化が進み、会堂はあるけれど牧師のいない教会も増え、日本の教会は経済的な問題も含めさまざまな課題に直面しています。

イランのクリスチャンたちが持っていて、私たちに足りないものはいったい何なのでしょう。彼らは会堂を持っていません。私たちは持っています。彼らは楽器を使えません。私たちは使えます。ほとんどの礼拝では、彼らにはメッセージを語ってくれる牧師もいません。私たちにはいます。彼らは隠れて集まり、心の中で賛美し、静かに祈り、聖書を読み、小声で分かち合うことしかできません。私たちは大きな声で賛美し、祈り、聖書を読み、どこでも自由に集まって、周りに気兼ねなくおしゃべりし分かち合うことができます。

ただ一つ、彼らが私たちよりもまさっているのは、彼らの方が私たちよりもずっとイエス・キリストのそばにいるということです。

Ⅲ.ブドウの房のように

世界には数万人の会員を抱え、大きな施設に集まって礼拝している教会もあります。いわゆるメガチャーチと呼ばれる教会です。そこまで大きくなくても、経済力のある教会は、自国や海外の困難な地域での宣教活動、また困窮した地域での医療や教育、難民の救済活動に関わる働きを大規模に支援しています。大きな教会や団体でなければできない働きもあると思います。しかし、多くの国で若い世代の教会離れが進み、教会は大きな課題に直面しています。また、今回のコロナ禍は、大人数で集まっていた既存の教会のあり方に新たに別な課題を突き付けることになりました。このようなことが要因となって、欧米でも少人数で分散して集まる教会が増えています。

私たちは、イエス・キリストが教会の中心におられ、聖霊が教会を導かれ、神の家族がお互いに仕え合うことが、どんな制度やプログラムよりも大切だと考えています。

イエス・キリストのそばにいるためには、私たちは、教会のかたちが、小さな交わりを中心とした、できる限りシンプルなものであった方が良いと考えています。同じ価値観で結ばれた小さな教会が一つでも多く生まれてくることが私たちの願いです。一つの群れを少数のリーダーでピラミッド型に管理するのではなく、ちょうどブドウの房がブドウの木の枝にたくさんなっているように、自立した小さな群れがたくさん生まれ、なおかつ、一つにつながれているのが、聖書が提示する教会のかたちに近いのではないかと考えます。

Ⅳ.中国の家の教会

中国では、第二次世界大戦後、共産政府によって多くの教会が閉鎖され、会堂も壊され、牧師たちが投獄され、クリスチャンたちはそれぞれの地域で、ひそかに家に集まって礼拝を持つようになりました。中国の福音的なクリスチャンの人口は数千万とも一億を超えるとも言われています。その多くがこのような政府非公認の家の教会に所属しています。彼らの群れは分散して存在いていますが、いくつかの大きなネットワークによって結ばれています。数名の牧者が群れ全体を導き、多くの信徒牧者が各地の群れや家の教会を導いています。

経済開放政策によってもたらされた比較的自由な時代に、若い世代がリードする都市型の教会、欧米型のメガチャーチも増え、中国の教会のあり方は多様になりました。しかし、中国の教会は今、新たな弾圧の時代を迎え、次々と教会が閉鎖され、会堂が取り壊され、牧師たちが追放され、かつての家の教会のすがたを取り戻しつつあります。

・小さな群れで、多くの場合、家を拠点として分散して集まっている。
・それぞれの家の教会を導いているのは信徒牧者である。その多くは女性である。
・彼らの宣教には、しばしば使徒の働きに見られるようなしるしと不思議が伴っている。
・各地に存在する家の教会はネットワークによって一つの大きな群れとして結ばれている。
・複数の牧者によって群れ全体が導かれている。
・教派的背景の異なるグループが迫害の中で一致し、福音の前進のために祈っている。
・大宣教命令に応え、それを実現するために、困難な地域に多くの宣教師を送り出し続けている。
・中国の家の教会のDNAは、次の五つの柱によって特徴つけられています。
①熱心な祈り②神のことばへの渇き③大胆な証し④聖霊の働き⑤迫害の中でのよろこび

Ⅴ.シンプルな教会を目指して

厳格なイスラム圏やインドのヒンドゥー至上主義の色濃い地域では、クリスチャンになること自体が、いのちの危険を犯すことを意味します。当然、公に集まって礼拝することもさまざま困難を伴います。そのような地域でも、クリスチャンたちはひそかに集まって礼拝し、危険をおかしてキリストを証し続けているのです。このような地域には、私たちが知っている教会の制度やプログラムをそもそも持ち込むことはできません。

このような地域に生きるクリスチャンたちは、使徒の働きに登場する教会のように、持てるものを分かち合ってお互いを支え合い、また、宣教の働きのために惜しみなくささげ、自ら出て行って福音を伝え、困難な地域に人々を送り出しています。彼らはなぜそこまでして福音を伝えようとするのでしょう。私たちは、一世紀の教会を彷彿させる彼らの姿から、学ぶべきことが多くあると考えています。

その国々によって、教会の置かれている状況は異なり、教会のかたちも異なります。彼らのやっていることを単純に模倣することはできません。しかし、聖書の教えている教会の本質は変わらないと思います。私たちは、その教会の本質を追及してくべきではないでしょうか。私たちは、イエス・キリストと神の家族の交わりを中心としたシンプルな教会を目指しています。そして、自立した小さな教会が一つでも多く生まれてくることがそのカギとなると考えています。

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