宣教と経済

私たちは、ささげられた献金ができる限り宣教のため、また 地域のために用いられることを願っています。しかし、極端なことを言うなら、維持費のかかる会堂がなくても、給与を払う牧師やスタッフがいなくても、教会はどこにでも生まれ、広がって行くことができるのです。私たちはその実例を新約聖書の中に見つけることができます。

会堂を持つことは教会にとって恵みですが、会堂を持つことで当然のことながら維持費が発生します。日本の宣教を考えた時に、また社会が大きく変動しているこの時代に、新たに教会堂を建ててローンを返済しながらそこを拠点として宣教する方法が効果的か慎重に考える必要があると思います。(神様からのはっきりした導きがあるならば、その限りではありませんが。)新約聖書に登場する教会は、多くの場合、弟子たちがそれぞれの家を拠点として少人数で集まり、その地域で日常生活を通して福音を証ししていました。そのような宣教方法の方が聖書的であり、理にかなっているように思います。日本の住宅事情や忙しいライフスタイルを考慮しなければなりませんが、友人たちを自宅に招きともに食事をし、あるいは公民館、レンタルスペース、カフェやレストランなど、生活に近いところで集まって、聖書を読み、祈り合うなら、そこにも教会が存在するのです。

多くの教会は、専門職の牧師とその家庭を献金によって支えています。また、宣教師たちの多くも母国からの献金によって活動しています。どちらも尊い献金のあり方だと思います。しかし、神の国を広げて行くためには、献金に頼らない職業を持った働き人が多く起こされてくる必要があります。使徒の働きで神の国が急速に広がって行った理由の一つは、宣教の働きがすべての弟子を巻き込む神の国のムーブメントだったからです。これは中国の家の教会のムーブメントや世界の他の国で起こっている弟子作りのムーブメントにも言えることです。働き人を献金によって支えることは必要であり大切だと思いますが、以上のような理由から、グレイスハウスでは牧師を含め有給のスタッフを置くことを(将来変わるかもしれませんが)現在は考えていません。 私たちは、地域の中に出ていき、たくさんの小さな交わりが生まれ、経済的に自立した多くの働き人が起こされ、そこに新しい教会が次々と生まれてくる、そのような教会を目指しています。

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