グレイスハウスでは、すべての献金はメンバー各自が自由に決めた額を匿名でささげています。
聖書は、惜しみなく豊かにささげることの大切さについて教えています。それぞれ自分で決めた金額を神の国のために気前よくささげるようにと聖書はすすめています。新約聖書には、貧しい人々や必要を抱えた他の教会、また宣教の働きを支援するために惜しみなくささげた当時の教会の様子が記されています。
私たちは自分たちの教会への献金をことさら強調することはしません。それは、メンバーの方たちに所属意識があれば、自分の教会を支えたいという願いを自然に持つと思うからです。ただし、どのような献金であったとしても、残ったものをささげるのではなく、最初に取り分けたものをささげるのが聖書の教えている原則であると考えます。お金や時間、労力をまず神様のために優先して使うことは、聖書の教えにかなう生き方であり、そこに豊かな祝福があると信じます。また、与えられたものを、日々の生活の中で周囲の人々と分かち合うことも、私たちの人生を豊かにします。
◆コリント人第二の手紙9章6節~7節
私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
どんな献金であっても、私たちは一人ひとりの自由な意志がまず尊重されるべきだと考えます。そのために、グレイスハウスではすべての献金は原則的に匿名でささげられています。特別な場合を除いて、だれがいくらささげているか知る必要はないと考えます。献金を要請することもほとんどありません。
※十一献金(収入の十分の一をささげる)を献金の基準として取り入れている他の教会の考え、忠実に十一献金をささげられている方たちの信仰は尊重しますが、グレイスハウスでは十一献金を個人にゆだねられた選択肢の一つであると考えています。十一献金をすべてのメンバーに一律に課せられた献金の基準としては考えていません。(ちなみに、十一献金を献金の基準として教えている教会の間でも、聖書の普遍的な規定として教えているグループ、霊的な原則として教えているグループ、聖書的な知恵として教えているグループなど、考え方は様々です。)