私たちの理解

私たちは、教会観や聖書理解の近い複数の地域教会、グループ、宣教団体とのつながりを大切にして神の国の働きを進めています。信仰の土台となる部分を共有する健全な教会であっても、教会によって、また個々のクリスチャンによって、教会観や教理、聖書理解、強調する教えは異なります。

教会間で意見のことなる次のいくつかの領域で、グレイスハウスの立ち位置を確認したいと思います。

私たちの信仰
信仰表明
使徒信条・ニカイア信条
信仰・教義・教理・意見
神の選びと人間の応答
聖霊の満たし
聖霊の賜物
使徒と預言者
信仰と告白
終末と再臨
性と結婚

教義・教理・意見

教理や神学を学ぶことによって救われるわけではありませんが、キリスト教の基本的な信仰内容を学び理解することは有益です。私たちが信じるこの信仰内容を重要度に従って、教義、教理、意見の三つの領域に分けて考えることが理解の助けになると考えます。その中心に置かれているのは、イエス・キリストとの直接的な関係です。→詳しく読む

神の選びと人間の応答

私たちは、イエス・キリストがすべての人の罪を負って十字架にかかり、贖いの代価として罪のない血を流してくださったと信じます。私たちは、キリストの犠牲の死と復活を通して、救いの道はすべての人に開かれており、イエス・キリストを受け入れる人は、ただ恵みによって、だれでも罪赦され、罪と滅びから救われ、永遠のいのちが与えられ、神の子どもして生きる特権が与えられると信じています。聖書は創造主の確かな選びについて教えていますが、同時に、人間がその選びに応え、イエス・キリストを通して、神様との交わりの中に生きるように求めています。→詳しく読む

聖霊の満たし

聖霊は、神のみことばの理解、交わり、祈り、宣教、すべての領域で神の御心を示し、私たちを導き、教会を励まし、人間の理解を超えた方法で助けてくださる方です。 教会によって、聖霊のバプテスマの定義は異なります。私たちは、聖霊のバプテスマをどう定義するかよりも、「日々、聖霊に満たされ、聖霊に従って生きることの大切さ」を強調します。聖霊のバプテスマの文字通りの意味は、私たちが神の霊に浸され一つとされることだからです。私たちは、また、新生したすべてのクリスチャンのうちに聖霊が内住されていると信じます。

聖霊の賜物

私たちは、聖書に述べられている聖霊のすべての賜物が今も継続していると理解しています。同時に、それらが聖書の指針に従って用いられるならば、今日においても有効であると信じます。 私たちは、より豊かに聖霊が働かれることを願い、求めますが、奇跡や啓示、超自然的な賜物を追求することを信仰生活の中心におくべきではないと考えます。むしろ、神の家族とともに礼拝し、互いに仕え合い、みことばから学び、日々聖霊とともに歩み、キリストの証し人として生きることの大切さを強調します。

使徒と預言者

私たちは、歴史の中で、今に至るまで、使徒的な働によって、困難な地域での宣教の働きが飛躍的に開かれてきたことを認めます。また、罪から離れ神に立ち返るように呼びかける預言者的な働きによって、教会や社会に霊的な覚醒がもたらされてきたことを認めます。このような働きをした人々は、自分たちを使徒、預言者とは呼びませんでしたし、そのように呼ばれることを期待しませんでした。そのような使徒的、預言者的働きが現在もあることを認めますが、私たちは、新約聖書の土台となった使徒や預言者と同等の働きが現代に回復するとは考えません。このような誤った解釈を避けるために、また権威の乱用を避けるために私たちは、特定の人々を使徒、預言者の称号を用いて呼ぶことはしません。また、私たちは、新約聖書には、教会が特定の人々を使徒、預言者として任命する事例や根拠は提示されていないと理解しています。→詳しく読む

信仰と告白

信仰とは、どんな時にも、良き天の父に信頼して歩み続けることです。神の子どもされた私たちは、天の父に、遠慮なく自分のたちの必要を訴え、願いを聞いていただくべきです。一方で、私たちにとって一番大切なことは、天の父を礼拝し、天の父の御心を受け取ることです。天の父の願いとは、私たちをご自身の願う姿に造り変え、私たちを通して、愛と聖さに満ちたご自身の姿をこの世界に現わすことです。私たちの願いが必ずしも天の父の御心と一致しているとは限りません。私たちの願いと違っていたとしても、良き天の父に信頼して歩むことが信仰です。私たちの祈りや告白によって、私たちの願い通りに神を動かそうとすることが信仰ではありません。

終末と再臨

正当な信仰に立つ教会はすべて、終わりの日に、この世界を裁くために、キリストが肉体を持って王として再臨されることを信じています。しかし、終末の時代、千年王国、艱難時代、反キリスト、イスラエルと教会の関係、再臨のタイミングについては様々な解釈があり決して統一されていません。私たちは、それぞれの信仰を尊重しつつ、教会としては、前千年王国説を支持し、終末時代におけるイスラエルの民族的な救いを信じ、教会に最後まで福音を伝える役割が与えられていると理解しています。

性と結婚

私たちは、神が意図された結婚が、一人の(生物学的)男性と一人の(生物学的)女性を夫と妻として結ぶ生涯にわたる契約関係であると信じます。また、その結婚が、キリストとその花嫁である教会の間で結ばれた契約に基づく愛を象徴していると信じます。私たちは、神が意図された結婚に、同性婚、複数婚(一夫多妻婚、多夫多妻婚)が含まれるとは考えません。

私たちは、性的マイナリティーに対する、いかなる差別にも反対しますが、聖書に基づいて同性愛的なライフスタイルや性行為を認めないこと自体が差別や偏見にあたるとは考えません。私たちは、男性または女性としての性的自己認識は、聖書に掲示されている神の創造の目的に従って育まれるべきものだと考えます。

私たちは、神がすべての人に、結婚関係にない場合は純潔を守り、結婚関係にある場合は貞操を守るように求めておられると信じます。私たちは、両者の間に同意があったとしても、人の愛情や願望によって、婚前または婚外の性交が正当化されるとは考えません。

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