教理や神学を学ぶことによって救われるわけではありませんが、キリスト教の基本的な信仰内容を学び理解することは有益です。私たちが信じるこの信仰内容を重要度に従って、教義、教理、意見の三つの領域に分けて考えることが理解の助けになると考えます。その中心に置かれているのは、イエス・キリストとの直接的な関係です。
同心円のモデル
下の図は同心円を用いて上にあげた各要素の関係を説明したものです。中心に近いほど、その相対的重要度が高くなります。

キリスト
聖書は、イエス・キリストを子どものように単純にこころに受け入れることによって救われると教えています。福音を理解することはもちろん大切ですが、信仰の中心に置かれているのはイエス・キリストとの直接的な人格的な関係です。神は、救いを求める人々に聖霊の働きによって、イエス・イエスキリストを通して直接ご自身を啓示してくださる方です。
救くわれるためには、福音を聞いてイエス・キリストを受け入れる必要があります。それは、必ずしも下にあげた教義や教理を正確に、また知的に理解することを意味しません。福音の理解は救われた後に、体験的に深められていくものだからです。信仰の中心に置かれるべき一番大切なことはイエス・キリストを信じる信仰を通して与えられる直接的な神との関係です。
教義
教義とは、正当なキリスト教会であれば受け入れるべき基本的な教えを指します。教義は、使徒信条、ニカイア信条など、歴史的キリスト教会が受け入れてきた信条に含まれている内容と考えることができます。
例として、三位一体、キリストの先在、キリストの受肉(神性と人性)、公生涯、十字架、復活、昇天、再臨などに関する最も重要で基本的な教えがこれにあたります。クリスチャンとして一致するためには不可欠な要素であり、これを否定するならば、もはやキリスト教とは言えなくなってしまいます。
教理
次に、教理とは、特定のグループ(教派、教団)に所属するために同意を求められる教えを指します。この場合、そのグループが上にあげた教義を受け入れていることが前提となります。
それぞれのグループによって教義の解釈が異なるので、歴史の中で対立する多くの教理が派生してきました。例として、使徒継承(カトリック)の教理と万民祭司(プロテスタント)の教理、カルヴァン主義(改革派)とアルミニウス主義(ウェスレアン)、聖霊の超自然的な働きに関する終焉説と継続説、再臨に関する様々な終末論、などがあげられますが、枚挙にいとまがありません。
意見
最後に、意見とは、特定のグループの中であっても許容される信仰内容に関する考えや解釈を指します。この場合は、そのグループに所属する個人やグループが、教義と教理を受け入れていることが前提になります。
例として、特定の聖書箇所の許容できる範囲での解釈の違い。それぞれの教会の伝統や慣習に関わる許容できる範囲での異なる考えや理解などがあげられます。
備考
一番上にあげたキリスト教の基本的な教義を受け入れている限りは、簡単に、特定のグループを異端視するべきではないと思います。東方教会の中にも、カトリックの中にも、私たちと異なる教理に立つプロテスタント諸教会の中にも、心から神と人を愛する兄弟姉妹がいるからです。一方で、自分たちの立ち位置を確認し、何を受け入れ、何を受け入れないか判断することは必要だと考えます。
教義や教理、神学をある程度学んで知的に理解することは有益ですし、私たちの信仰の助けになると考えます。しかし、救いの保証にはなり得ません。なぜなら、信仰の土台はあくあまでも、私たちと神様との人格的な関係の上に置かれているからです。
補足
最初に書いたように、特定の教理を支持していること、また、特定のグループに所属していことが、救いの保証にはなりません。救いは私たち一人ひとりが救い主であるイエス・キリストとどのような関係を持っているかにかかっています。
私たちは、教派や教理や意見の違いを超えた教会の一致を大切に考えています。しかし、それは人の意思によって教会を政治的に統合することを意味しません。むしろそのような動きがあるならば警戒すべきだと思います。
教会を本当の意味で一つにできる方は、イエス・キリスト以外にはおられないからです。私たちが神の前にへりくだって、お互いのために祈り、一致を求めていくときに、聖霊がそのような一致を与えてくださると信じます。