礼拝者として生きる
教会は、いつでもどこでも神を礼拝します。
教会は、いつでもどこでも神を礼拝する人々の集まりです。
聖書は、礼拝について、多く語っています。広い意味で、クリスチャンの礼拝とは、何よりも神を愛し、神に仕え、神に感謝と賛美をささげ、神の栄光を現わす聖い生き方を指しています。イエスは、サマリアの女との会話の中で、礼拝すべき場所について問われた時に、天の父が、心から神を礼拝する「まことの礼拝者たち」を求めておられると答えられました。「まことの礼拝者たち」とは、いつでも、どこでも、天の父をこころから愛し、仕え、賛美と感謝をささげる人たちです。また、パウロは、自分自身を神にささげることが礼拝であると説明しています。また、聖書は、クリスチャン一人ひとりが聖霊の住まわれる神の神殿であり、クリスチャンの集まりである教会が神の家であると教えています。神の神殿も神の家も、両方とも礼拝がささげられる場所を指しています。つまり、私たちがいる所、私たちが集まるところで、いつも礼拝がささげられることを意味します。 新約聖書は、イエス・キリストを大祭司として、また生贄の小羊として描いています。救い主は、私たちの救いのために、ご自身をささげてくださいました。私たちがそれに応えて自分自身をささげることが、神の求めておられる礼拝です。
「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」(ヨハネの福音書4章23~24節)
礼拝
